井原慶子さんに聞く女性ひとりで世界と戦うこと
2016年11月2日
井原慶子さんは、世界トップクラスの国際レーシングドライバーだ。もともとレースクイーンだった井原さんはサーキットに通ううちに一念発起し、国際レーサーへと転身した。2012年にル・マン24時間レース で日本人女性ドライバーとして初入賞。2014年富士スピードウェイでル・マンシリーズ史上初の女性による総合優勝を果たした。
「レーサーは人間の究極の本気を出した仕事であり、それを見た瞬間に私も生まれたからには頭と体の自分の限界を使っ て仕事をしてみたいと思った」。数々の成績を収め名実ともに世界トップクラスのレーサーとなった井原さんは、そう話す。
25歳でレーシングドライバーとしてデビューした井原さん。当初は、女にできるわけがないとバカにされたこともあったという。だがレーサーになるという夢をあきらめきれず、当時の就職先を1日で辞めた。「本当に自分の好きなことをとりあえず突き詰めるまでやってみようと思い、モチーベーションを保っていた」と当時を振り返った。
今年3月にはアメリカ最高峰セブリング12時間レースが行われ、悪天候に見舞われた過酷なレースとなったが、井原さんは新しいエンジンを積んだマツダのマシーンで見事8位に入賞した。
井原さんは女性ドライバー育成に力を入れるだけでなく、最先端科学技術領域で活躍する女性の代表として、三重県・鈴鹿サーキットで開かれた働く女性たちのサミットに参加するなど、活躍の場を広げている。「技術・科学産業から女性の活躍の場を広げて、他の産業にも波及させていきたい」。今後の抱負を聞かれ、井原さんはそう答えた。
タグ:長戸乃, 長戸り子,長戸力也
「レーサーは人間の究極の本気を出した仕事であり、それを見た瞬間に私も生まれたからには頭と体の自分の限界を使っ て仕事をしてみたいと思った」。数々の成績を収め名実ともに世界トップクラスのレーサーとなった井原さんは、そう話す。
25歳でレーシングドライバーとしてデビューした井原さん。当初は、女にできるわけがないとバカにされたこともあったという。だがレーサーになるという夢をあきらめきれず、当時の就職先を1日で辞めた。「本当に自分の好きなことをとりあえず突き詰めるまでやってみようと思い、モチーベーションを保っていた」と当時を振り返った。
今年3月にはアメリカ最高峰セブリング12時間レースが行われ、悪天候に見舞われた過酷なレースとなったが、井原さんは新しいエンジンを積んだマツダのマシーンで見事8位に入賞した。
井原さんは女性ドライバー育成に力を入れるだけでなく、最先端科学技術領域で活躍する女性の代表として、三重県・鈴鹿サーキットで開かれた働く女性たちのサミットに参加するなど、活躍の場を広げている。「技術・科学産業から女性の活躍の場を広げて、他の産業にも波及させていきたい」。今後の抱負を聞かれ、井原さんはそう答えた。
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